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ケンブリッジで過ごした日々



石川 奈々




 春休み、私を含めた5人のメンバーは約3週間イギリスで短期海外研修を受けました。私にとって海外へ行くのは今回で2度目でしたが、イギリスは子供の時から一番行ってみたい国でした。それなので、飛行機がロンドンのヒースロー空港に向けて高度を下げ始めたときは、たまらなくうれしくなり、それまで抱いていた自分の英会話力や生活への不安はまったく感じませんでした。


 空港のロビーで、Felicityが私たちを迎えてくれました。彼女は、今回の研修のスケジュールを立てて、メンバーそれぞれにホームステイ先を見つけてくださった方です。私たちはFelicityと一緒に空港から貸切のマイクロバスに乗り、2時間ほどでケンブリッジの街に着き、それぞれのホストファミリーに迎えられました。


 ケンブリッジは、ケンブリッジ大学の名で知られる都市です。街にはたくさんの大学の建物があります。そして、その多くが100年以上も前に建てられたもので、まるで中世のお城のようでした。しかしその大学のシステムは、日本とはだいぶ違います。ケンブリッジ大学に入学する学生は、まず自分が所属したいと思うカレッジ(寮)を見つけなければなりません。ケンブリッジにはカレッジの数は31もあり、それぞれに校風があります。例えば、大きなチャペルを持つKings College には初等部もあるそうで、上流階級の子息が所属しているという感じを受けました。学生は希望するカレッジの試験を受けます。そして、そのカレッジがその学生を所属させるのに相応しいかどうかを審議してから決めるそうです。またカレッジにはそれぞれ紋章もあり、学生たちは自分のカレッジに誇りを持っています。イギリスではよく、ケンブリッジ大学を卒業したと言うと、多くの人が「どこのカレッジでした?」と聞くそうです。それほどカレッジの存在は大きいのです。ハリー・ポッターの学校生活もイギリスのこのような伝統に基づいているのだと思いました。  


 私たちは、カレッジの一つであるHughes Hallの教室にて平日の午後に英語の講義を受けました。Hughes Hallは、ケンブリッジの中でも古く一番小さなカレッジだそうです。私はそこの穏やかな雰囲気がとても好きになりました。教室の窓からは時々、枝の上を走るリスを見ることができました。


 ケンブリッジの街の中心部には公園がたくさんあります。日本で公園というと、狭い土地に子供のための遊具がいくつか置いてあるというイメージが思い浮かびます。しかし、ここの公園はただとても広い芝生というシンプルなものでした。一角にはサッカーのできるグラウンドや、スケートボードのための大きなU字の台と、ベンチが少し置いてあるだけでした。公園の中には歩道が設けられていて、人々はよくその道を歩いていました。芝生はきれいに刈られていて、私たちが滞在した3月はちょうど黄色のスイセンが街中に咲いていました。


 私たちがケンブリッジで過ごしたのはほんの2週間ほどでしたが、felicityや彼女の助手の方たちに毎日、いろいろな所を案内してもらい、体験させてもらい、一日一日がとても新鮮で楽しかったです。また、今回行動を共にしたメンバーはみんな楽しい人ばかりで、5人いれば何でも出来てしまいそうな、そんな心強い大切な仲間になりました。


 今回イギリスで学んだことと、人とのつながりはこれからも大切にして活かしていきたいと思います。







私のヨーロッパ放浪記



松岡 航




 私は、2001年12月5日から2002年1月2日までヨーロッパに行ってきた。なぜヨーロッパなのか、といわれても、これといった特別な理由があったわけではない。ただ、なんとなくスペインに行きたいと思い、日程も一ヶ月ほど組んだので、スペインばかりでなく、周辺の国も回ってみようと考えたのです。昨年の12月にも一人で3週間インドに行ってきた。一人で異国に出かけ、旅行し、帰ってこれたことで自信がついたし、やり遂げた達成感がたとえようもなく気持ちがよかった。今回、日本を飛び出すことにも少しの迷いもなかった。往復の航空券と到着した日のホテルだけを決めて、後は何も決めずに出発した。


 名古屋空港までは友人に送ってもらい、まずはドイツのフランクフルトへ。フランクフルトまでは約10時間かかった。飛行機の中は狭い上にすることがなく、とても疲れた。空港に到着して、最初に困ったのは、預けたリュックをどこで受け取るのかわからなかったことだ。何度、リュックを捨ててゆこうと思ったことか。それでも何とか見つけ出すことができた。次は、トラベラーズチェックのマルクへの両替だ。これもできたので少し休憩。最初のホテルは決めてあったが、どうやって行けばいいのかわからない。インフォメーションで聞くがいまいちわからない。でも、「地下へ行け」といっているように思えたので、降りてゆくと地下鉄があった。4つ目の駅で降りろといわれたような気がしたのでそこで降りた。人の流れに乗っていったらインフォメーションがあったので、またホテルの場所を聞く。そうやってホテルにたどり着いた。私は英語をほとんど話せないが、話せなくても何とかなる。


 明日の予定を決めようと思ったが、どうしていいかわからない。そこでホテルの外に出てみた。日本に比べると寒い。もちろん外人しかいない。雨も降っていた。心細さもあってホテルから離れたくない気持ちが勝った。そこで駅周辺をぶらついた。ヨーロッパの駅は、日本の駅と違ってスケールがでかい。駅構内に改札口がないから自由に出入りできる。立ち食いのできる店や、花屋、本屋などもあった。そこでパンにウインナーをはさんだだけのバーガーを買う。これは結構うまかった。ドイツ人は歩きながら食べているのでまねをしてみた。ホテルに戻って、再び考える。結局、ミュンヘンに行くことに決めた。日本との時差は8時間。眠い、ダウンだ。


 2日目。電車でミュンヘンに向かう。ユーロパスという鉄道パスを日本で購入していたので、チケットは買わないですむ。乗る電車を見つけ出せるか不安はあったが、駅の構内の表示がわかりやすかったので、間違うことはなかった。ICEという種類の電車だったが、すごくきれいで、乗り心地も最高だった。ミュンヘンでは、まずホテルを探す。日本に比べホテルの数は圧倒的に多い。しかし問題は、値段だ。一人旅をしている私にとっては、安ければ安いほどベターだ。駅周辺しか歩いていないが手ごろなホテルをすぐ見つけることができた。


 3日目は、スイスのチューリッヒへ行った。ドイツには2日しかいなかった。天気が悪くて太陽を見ることができなかった。いい印象を持てというほうが無理だろう。これに対し、チューリッヒは寒かったが、お日様を拝めたし、チューリッヒ湖からの眺めも最高だった。でもスイスは日本以上に物価の高い国だ、と思った。そこで中国人に会い、30分くらい片言の英語で話をした。その人は10歳のときからスイスにいるらしく、日本のことをやたらほめていた。


 チューリッヒに1泊し、朝9時ころの電車でイタリアのヴェネチアへ向かう。電車の中では、ほとんどウオークマンを聞きながら外の景色を眺めていた。ミラノで30分くらい停まって、ヴェネチアには1時間遅れの17時30分ころ着いた。


 駅のインフォメーションでホテルを紹介してもらう。そこでくれた地図に印もつけてもらった。これで今晩の宿は大丈夫と思った。ところが、地図を頼りにホテルを探しても見つからない。居合わせたイタリア人に聞いてみたが、彼らのいうことがわからない。いい加減なことをいっているようにも思える。4・5人に聞いてもだめだった。紹介してもらったホテルはあきらめて、周辺のホテルを4軒ほどあたる。ところが、どこも満室という。がっくり来た。荷物が重く肩に食い込む。野宿も覚悟した。しかし外は寒い。気を取り直して、さらに探す。ついにホテルを見つけた。結局、ホテル探しに、1時間30分もかかった。ここは一泊9万リラ(約5500円)。私には高すぎる。泣く泣くここに泊まって、翌朝、ここを出て、もっと安いホテルを探した。一泊5万リラ(約3000円)のホテルをすぐにゲットできた。この後、ヴェネティアの町へ飛び出す。「水の都」といわれるだけに、川が縦横に走り、移動は船でする。車も自動車もない生活。初めての経験でちょっと感動する。ただ水の上の移動は寒い。室内に入ることもできるが、景色を見るには外のほうがいい。室外のいすに腰掛けて約20分。寺院がある町の中心地に着く。寺院のなかを歩いたが、「すごい」。これ以外の言葉で表現できない。翌日も町を歩いた。この町に三泊した。


 7日目。ローマに向かう。すぐホテルが見つかる。4人部屋(ドミットリー)で、一泊約2100円。安い。ここを確保して、いざ、ローマの町へ。ローマの町は活気がある。車のクランクションがよく鳴り、運転も荒い。バイクも多くてなんだかインドに似ている。横断歩道に立っても、こっちが強引に渡らないと絶対に止まってくれない。スペイン広場、トレヴィの泉、コロッセオなどガイドブックに出ているところにはだいたい行った。ここでサッカーの試合も見た。私は大のサッカー好きで、ヨーロッパに行く以上は、サッカーを見なければ、と思って日本をたった。私が見たのは、ローマ対ブレシアの試合だった。試合の開始が夜の9時からで、しかも試合場は郊外にある。ホテルから遠い。ホテルに帰れるか心配だったが、サッカーの誘惑が勝った。この試合は結構楽しめたし、いい思い出にもなった。ローマでは二泊した。


 次いでフィレンツエに向かい、ここで一泊。それからミラノへ行く。


 ミラノはとても寒かった。雪も積もっていたし、町の温度計はマイナス3度を示していた。ドォーモを見に出かけたが、道に迷ってようやく夕方になってたどり着いた。しかし、かえってライトアップされてきれいだった。ミラノには二泊か三泊してから、寝台車でバルセロナへ向かうつもりだった。ところが、寝台車は週に3便しか出ない。そこで、一泊してから、フランスのモンペリエに行き、そこからバルセロナへ向かうことに決めた。モンペリエから乗った電車の窓からは、地中海が果てしなく広がり、とても感動した。


 そして11日目。ついにバルセロナに到着した。ここではガウディの作品を見なければならない。まずサグラダファミリアを見に行く。完成まであと200年かかるという。なんという感覚。壮大な寺院だった。グエル公園にも行く。想像した以上に広く、一日かけてもいい場所だった。日本人が経営しているホテルに泊まった。客は全部日本人。日本語で話ができるのはなんと楽なことか。この場所だけが日本のようだった。スペイン人は、ほとんどスペイン語しか話せないようだ。英語は通じないし、数字もわからないようだった。


 次にマドリッドへ向かう。王宮やマヨール広場へ行った。ここで三泊したが、天気が悪くて寒かった。いい印象は残らなかった。


 再びバルセロナへ。例の日本人の経営しているホテルに泊まった。ここだと言葉が通じるし、荷物の心配をする必要がない。戻った理由はサッカーの試合を見るためだ。バルセロナ対エスパニョールの試合を見た。会場はバルセロナオリンピックで使われた競技場だ。対戦チームは、いずれもバルセロナに本拠を置き、ダービー戦となってすごく盛り上がった。夜の9時30分から始まったが、観客はローマに比べずっと多かった。観客の一人として自分がオリンピックの競技場にいる、ということ自体が信じられなくて、すごいことをしているという、たとえようのない思いが身体の中に広がった。バルセロナでは、世界で一頭しかいないという白いゴリラも見に行った。機嫌が悪いのか、こっちを向いてくれない。2回目に見に行ったときこっちを向いてくれたが、顔も実にふてぶてしい。


 12月25日の夜行の寝台車でパリに向かう。寝台車は、今回の旅では初めてだ。疲れたのかぐっすり寝ることができた。パリには6つも大きな駅があるし、地下鉄も複雑で、最初は、ちょっと苦戦した。ルーブル美術館やエッフェル塔に行ったが、行列がすごい。入る気がなくなった。シャンゼリゼ通りにも行った。平凡で名前倒れな気がした。パリで二泊した。


 オランダのアムステルダムへ。ここは、マリファナと売春が合法という日本では考えられない町だ。メインストリートは他のヨーロッパの国と変わりがないが、2.3本横道に入ると飾り窓地区という売春街に入る。マリファナも普通のコーヒーショップで買うことができる。自転車の数が多く、自転車専用の道路もある。1月31日、新年を祝うため、夕方から爆竹が鳴り出し、花火が打ち上げられた。現地で知り合った日本人とニューイヤーのカウントダウンを見るためにダム広場へ出かけた。広場が人で埋まっている。爆竹の音がすごく、ロケット花火も群集に向かってくる。新年になると、回りにいた外人がシャンペンを渡して飲めという。それを飲むとハッピーニューイヤーといいながら抱き合う。こんなことが普通に行われていた。日本では考えられない光景だ。自分もこの中の一人になった。


 1月1日の午前中の飛行機でフランクフルトを経由して日本に帰ってきた。前日、興奮の渦の中にいたので寝むれると思ったが、機内が狭くでだめだった。


 こうして、今回の旅では、ドイツ、スイス、イタリア、スペイン、フランス、ベルギー、オランダの7カ国を訪れた。出かけて損はなかったし、日本では体験できない、味わえないことをたくさん経験した。やれるという自信もついた。バルセロナの町が一番印象に残った。暖かかったし、街の雰囲気も想像通りだった。ローマ、フィレンツエ,アムステルダムもよかった。友人や両親に「どうだった?」と聞かれても、写真を見せただけでは説明できない、言葉にならない。これは、本当に出かけないとわかってはもらえない。


 インドと比べるとヨーロッパは静かで、インドはうるさいという感じがする。ヨーロッパは町がきれいで、日本とあまり変わらない。ただ言葉が通じないだけだ。ところが、インドは、100メートル歩くと、「ヘイ、ジャパニー」という声が聞こえてくる。こんなことは、ヨーロッパでは経験しなかった。インドの人たちは、生きるため必死になっている、そんな気がする。そんなインドの人たちが、私にはかえっていとおしく思われる。


 大学を卒業して就職するとこのような機会を得ることは難しくなる。かけがえのないことをやり遂げた、達成感、充実感を今感じている。このことは、きっとこれから遭遇するさまざまなことに対しても、よき指針を与えてくれるものと思う。この拙文を読んでくれた後輩の皆さんが、私が感じ取った実感を自分なりにアレンジして、学生時代を有意義に過ごしてくれることを祈りたい。